アナミコレクションとは

人類史は採集時代、農業時代から、工業時代と三区分して考えるべきであり、現代の工業社会は、加速度的に地球や人間生活を変えつつある。

我々は失われつつある人間が自然と共に歩んだきた民芸のこころを、次の時代へ繋いでいく。

・太陽の光を浴びたような商品、

・その土地土地での生活を反映した衣類、

・人間の手ざわり、肌ざわりの残る商品を、世界各地の手工業者や工房と共に現代に創造していきます。

私達はフォークロアに根付いて創造の源泉とし、さまざまな業態と商品を産み出します。

そしてフォークロアを発信する拠点店舗を展開し、卸のキャラバンを躍動させ、民芸のオアシスを広めます。

フォークロアという理念、商売という利益、そして時代を突破するパイオニア精神。

これら3つの円の重なるところがアミナコレクションの活動の立ち位置です。3つのうち、どれも欠けてはならず、軽んじてもいけません。3つすべてを前向きに躍動させ、重なる部分を狙い定めて活動していきます。

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1990年、ボス(進藤幸彦)による「フォークロア世界への旅」には、アミナコレクションの創業の理念や想いが詰まっている。

お金を稼ぐということは、なんて単純な世界だろう。

丸坊主のその少年の顔がぱっと明るくなり紙幣を両手に高く揚げてからキスをして、自分のおでこにくっつけた。そして誰かに見てもらおうといわんばかりに小躍りしながら、

両手を伸ばし親指を鳴らして踊った。見ていて胸が熱くなるものがあった。

お金を稼ぐということは、なんて単純な世界だろう。彼はなんて正直に又誇らしげに振舞うんだろう。

アミナコレクションの受け継がれていく気質一

学校の音楽や体育の時間に習っていた

歌やフォークダンスはなんだったんだ!

このとき目の当たりにした東北の民俗芸能、鬼剣舞や鹿踊り、猟師の集団の斎太郎節は圧倒的に文化的に、私を圧倒した。

いったい学校の音楽や体育の時間に習っていた歌やフォークダンスはなんだったんだ!

こちらから世界を見ているつもりが、実は、私自身や日本人を見直している。

異質な伝統や異なったモチーフ、思いがけない素材や技術を駆使した世界の民芸は出会うこと自体、面白い。さらに民芸を生み出す民俗、フォークロアの中に少しでも入っていけると、もっともっと面白い。そこには私たちの現代の生活を問い直す何かがある。世界を見ているつもりが、私自身を、日本人を見直していることが意外に多い。

世界の民芸といえど、いるものはほとんどが見たことがある。だから、現地とタイアップして現代に蘇らせている。

実を言うと世界の民芸といっても現代の経済の中で生き残れるものは限られていて、人々が自分の生活に取り入れられそうだと思われているもののほとんどは日本のマーケットに紹介されてしまっている。一度も見たことがないものに出会うことは本当に少なくなってしまった。今では探し回るというより現地の手工業者とタイアップして、その土地らしいモチーフや技術やカラーを生かしたデザインを私たちで発掘し、作ってもらうことも多くなった。

民芸品は保存できるが、それを生み出した民俗、フォークロアはそうはいかない。

民芸品は美術品としてミュージアムに入れて保存しておくことが出来るかもしれない。しかし、その民芸を生み出した民俗、フォークロアはそうはいかない。
それは精神にかかわるものだからだ。今のうちだ。今のうちによく見ておいて大切なもの、どうしても忘れてはならないものを見極めたい。

世界へのフォークロアの旅は、したがって同時に日本のフォークロアへの旅であり、自分のアイデンティティーへの検索なのだ。

求めているのは民芸品という「物」ではない気がするんだよ。

求めているのは民芸品という「物」ではない気がするんだよ。むしろ民俗芸能まで含めて、民芸の担い手達の感じ方、生活への愛情や神へのおそれ、乏しさへの不屈な、明るい精神力のようなものだよ
〜人生へのプリミティブな、すがすがしい挑戦を思い出させる儀礼とか、狭くてすぐ混乱するこの頭脳を人間らしい気持ちに戻すノウハウとかモチーフ、あるいは音楽や舞踊。そういう伝承された自然治癒の知恵など。それは民芸というよりフォークロアといったほうがいいかもしれない。

整理されすぎたら魅力がなくなるとは一体何を示しているのだろう。

民俗芸能も民芸も、多くの研究家がいるし学者もいる。そうした人達の多くに1つの共通のイメージがある。何故か決して民俗の匂いがせず、どちらかというと貴族的に上品な、手を汚したことのないイメージだ。

文明開化の街で、文明開化の見直しが始まる

唐津の海育ちには潮の香りが薬になることもある。それに国際貿易港のさざ波騒ぐ海面には、なにかしら男をそそのかすような、挑発するような汚れがある。
横浜は明治と占領時代の2度にわたり日本がはじめて欧米の文物を大量に受け入れた街だ。
そして日本人のフォークロアを変貌させた。近代の宵も悪いもここが始まり、そのころは「文明開化の音がして」、今は文明開化の見直しの音が聞こえる。
元町と中華街を結ぶシルクロード。町全体で何かやれそうだ。

昔の神社や神殿が果たした役目をシルクロード舞踏館にさせたかった。

身心不二、つまり人間の肉体と精神とを切り離して考えることを否定し、人間の物化へのレジスタンスの場にしたかった。民俗行事とか神話のような共通の素養を周期的に行って自分たちの自己確認を
する、という公共性。(中略)舞踏館は最初から利益が目的ではなかった。自分たちの心身の見直しをかねて同好の人々を集めようとした。けれどもできることなら、もっと発展させて、昔の神社や神殿が果たしたように周期する美術や芸能のセンターであり、民俗行事の場であり、立ち寄るのが自己確認につながるような庭、広場に近づけたらと思う。

モラはもともと入れ墨。

モラはもともと入れ墨。裸をやめさせようとして、服の上から同じアップリケ。その アップリケだけ切り抜かれて売られてる。それでも立派な民芸。その土地独特のカラーコンビネーション。

民芸は固定したままでとどまらず、常に拡大発展や洗練、あるいはその逆に滅亡や衰退といった変化にさらされている。

民芸らしい民芸と民芸らしい商品のちがい。「かなわないな」と納得してしまう。

民芸らしい民芸と民芸らしい商品のちがいである。民芸らしい商品の限界をつくづく感じさせるのが、この地面絵であり家壁絵である。見ているうちに「かなわないな」と納得してしまう。私たちはこうした本物の魅力と出会いながら物を作っていきたい。

貿易は互いの生活がかかった商取引だから互いにギアが入った状態でつきあう。どちらも傍観者ではないし、アウトサイダーでもいられない。

今こそだ。今のうちに、たくさんの民芸、そのフォークロアを私たちの「船」に乗せ、どのように私たち自身が蘇られるのか、どのようにそれを蘇させられるか試してみたい。

ふと私は自分が民芸の世界に逃げ込んでいるのではないかという疑いがわいた。現代という時代の、人をギザギザにしてしまう肌ざわりを恐れて、人懐かしい、手ざわりの残る民芸の世界にだ。いや、そうではない。逃げ込みではなくて民芸を武器にしたいのだとも思った。これは自分自身の人生の結果でしか証明できないことだ。失われた掛け歌のように、民芸もどんどん先細りしている。
今こそだ。今のうちに、たくさんの民芸、そのフォークロアを私たちの「船」に乗せ、どのように私たち自身が蘇られるのか、どのようにそれを蘇させられるか試してみたい。
この世界はリンの海で、妖しい魅惑や害毒や迷妄に満ちているが、汚辱や腐食と共に未来の生気もひそんでいて、捨てることができない、つきせぬ海だ。街に浮かぶ私達の船、フォークロアの船をゆるゆると進ませていこう。