私たちの正倉院

カヤ誕生秘話 (witten by 進藤さわと)

アミナコレクションは創業以来30余年、いわゆるエスニック雑貨といわれる業態チャイハネを展開してきた。エスニックというのは発展途上国であるアジア・アフリカ・中南米というエリアが対象だ。創業者である父(以下、ボス)はもともと日本の民俗芸能との出会いからフォークロアの世界へ足を踏み入れたにもかかわらず、エスニック諸国のフォークロアばかりを対象にしていたのは私にとっては違和感が強かった。
2005年、熊本にチャイハネがオープンした際に、熊本城下の「熊本県伝統工芸館」に立ち 寄った際、「おばけの金太」という民芸品に出会った。
赤い漆塗りの愛嬌ある顔した民芸品で、ひもをひっぱると「あっかんべー」をする仕掛けがある。
江戸時代からの民芸品だが、一子相伝の民芸品で後継者難に直面しているということで あった。熊本県の観光ポスターにもたびたび登場していて、熊本県の顔ともいえる民芸品が消え去ろうとしていた。
そこで日本のフォークロアをテーマにショップを開くべきだ、そういう気持ちが湧いた。
同時に日本の民俗芸能から始まった会社の精神的な形も補完されるとも感じた。
それからしばらくチャイハネの店舗展開に忙殺されていたが、日本をテーマにした新業態の構想は自身の中で少しずつ積み上げていった。
それから4年後の2009年。リーマンショックの衝撃が日本を震撼させていたさなか、その影響か横浜中華街のメインストリートで店舗物件の空きが出た。その物件に飛びついて、 日本をテーマに新業態をやるべきと私は主張した。しかし、ボスは激烈に反対してきた。 ボスは1960年代にブームになって消え去った日本民芸店をイメージしていて、そんな 民芸品ばかりの店はもはや成り立たない、うまくいくはずがないとまったく話を受けつけようともしない。実家にて深夜まで何日も激論を交わした。私の温めてきた構想では、かつての日本民芸品店とは違う、と説明しても、頭ごなしに否定され続けた。創業者のエネルギーというのは想像を絶するものがあるし、リーマンショックの影響で会社全体も新しいことをやるモードでもなかった。何度も挫けそうになったが、最後に私の熱意をささえたのは、「おばけの金太」であった。いろいろなものが消え去る前に何か始めねばならない。
最後には「今回は自分に任せてほしい。オープンしたのを見てボスが納得いかなかったら いくらでも意見を聞かせてもらう。」とボスを押し切った。9月の契約から12月にはオープンしたのだが、そのたった3ヶ月でブランドコンセプトから内装設計から、気の遠くなる数の業者から商品をセレクトして集めていった。オープンした店舗を見て、ボスは「その手があったか」と手を打って喜んでいた。
消え去っていく日本のフォークロアを表現するカヤの店頭には、おばけの金太の特大版が 置かれて店の顔となっている。消え去ってしまうことと「おばけ」。店頭の金太を見て、 なんだかしてやった気分になる。

カヤ誕生秘話 おばけの金太

横浜浮世絵の姐さん

この絵の原画は、馬に乗った異邦人が姐さんの右に描かれている。
着物姿で手にワイングラス、異邦人を余裕の表情で見下ろしている女性の気骨がすがすがしい。異文化への気骨ある精神と、融合していくさまが描かれていて、カヤのコンセプトにふさわしい。

横浜浮世絵の姐さん

カヤというショップ名

はるか昔、朝鮮半島と日本の間に伽耶(カヤ)という国があり、鉄器など大陸の文化を日本に伝えてきた。
日本は縄文以来の独自文明に、幾たびも異文化を受け入れ融合していった。
明治維新の文明化では西洋文明との融合が起きたが、はるか古代には大陸の文化との融合も起きていて文明開化の先駆けともいえる。異文化を受け入れて変質してきた日本のフォークロアという広がりを持たせて象徴的にカヤと名づけることとした。

カヤというショップ名